Yamakatsu's diary

男は黙ってカント

私はなぜ就活に失敗したのかについて

私はなぜ就活に失敗したのか、冷静に振り返ってみる。このブログにたどり着いた稀有な人は、こういう人間が就活に失敗するのか、ふむふむ、と参考にしていただけたら幸いである。

私は、多くの就活生と同様、夏休み前、インターンシップに参加するためのエントリーシートを書き、夏休みに二社インターンシップに参加した。そして十二月頃に国会図書館を目指し始め、三月ころ、五社ほど一般企業を受けたが落ち、国会図書館の試験も六月に二次試験で落ちた。それ以降、就活という就活はしていない。

私が一番印象に残っているのは、とあるゲーム会社の説明会に行った際、二時間弱の説明会で社員さんが「成長」という言葉を五十回以上も口にしたことだ。成長するのはそこで働く社員であり、会社であり、サービスはそのための手段に過ぎない。成長こそが目的である、そういった内容だった。僕にはこの説明会が耐え難かった。どうしようもなく。

 私はただお金を稼ぐために働きたいのであり、例えば、IT会社であればユーザーさんが喜んでくれるサービスを作る、あるいは、それに貢献できる仕事がしたいのである。愚直に、真摯に働きたいのである。成長することなんて徹頭徹尾どうでもいい。

前で挙げた例は極端だが、「うちにこれば成長できるよ!」というメッセージ、それに類するメッセージを打ち出している企業は多い。もちろん、そうでない企業もたくさんあるだろうが、私の中で「就活=根本的に間違った何か」という認識が夏休みには出来上がり、就活という言葉を聞くだけで嫌悪感を抱くに至った。(だから国会図書館を目指したというのもある。)それは今でも治っていない。

ところで、私の中で嫌悪感が根強いのには、アルバイト経験が影響している。私はこのはてなブログを提供している株式会社はてなのサポート部でアルバイトをしていた。そこから移り、現在はソーシャルゲームを作っている会社でサポート業務を担当している。この会社にはサポート専属の社員さんがおらず、サポート業務全般の主管、担当が曖昧になっている。そのため、組織を上手くまわすために、サポート部がどうあるべきかを模索している。

委託会社やエンジニア、サポート部の同僚と話し合い、制度の導入、運用を試していく中で、失敗し反省したことも多々ある。しかし、これはあくまで私の主観だが、給料分の働きはしていると思っている。私は決して成長など掲げていないし、真摯に働いているだけだ。例えば私はruby(プログラミング言語)の勉強をしているが、成長したいからではなく、私も何かサービスを作ってみたいであったり、社員の負担を減らすために自分で不具合を発見し、修正できるようになりたい、といったモチベーションでしかない。

長々と書いたが、要約すると私はただ真摯に働きたいだけだ、そして、真摯に働いてみて、やはりこの考え方は間違ってなかったと思った、だが、就活ではよく分からない価値観を私に押し付けてくる、それが私には耐えられない。そういうことだ。

最後に。今はイノベーションの時代だ、だから真摯な人間なんて要らないんだ、クリエイティブな人間を会社は求めてるんだよ!と言う人がいるだろう。が、「うちにこれば成長できるよ!」というメッセージに好意的な人間や、好意的には受け止めないが企業がそう謳うのであればそれに適応しますよという就活生がなぜ、成長を謳う企業に嫌悪感を抱く人間よりクリエイティブであると言えるのか、私にはよく分からない。

物を書くという行為には、過去の私と今の私を切り離し、かつての私、その絶望的な思考を外からシゲシゲと眺め回し、乗り越えさせるという効用があるらしい。一周回って私は就活をする気になるかもしれないが、それでも私は、それを決して「成長」だとは呼びたくない。「変化」と呼ぶ。