Yamakatsu's diary

男は黙ってカント

社会に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ口を噤んで孤独に暮らせ それも嫌ならっ・・・

「あなたは世界中で起こる何もかもがインチキに見えてるんでしょうね」―J.D.サリンジャーライ麦畑でつかまえて

 印象に残る文学、それは、自分の今までの人生があたかも主人公のそれであったかのように錯覚させるものだろう。そして、J.D.サリンジャ「ライ麦畑でつかまえて」は私にとって、そのうちの一つであった。

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

人の弱みを論いコールをかけるサークルの飲み会、同大学卒というだけで先輩面をして説教する輩、出席票の記入を頼み遊びほうける輩、学部生に「おぉ」と思わせるためだけに、難しい言葉を覚える輩、自己啓発本を読み、変わった気になる輩、ナンパ読本を読み他者を理解した気になるサノバビッチ・・・。そう、僕は間違いなく世界中で起こる何もかもがインチキに見えている。だから、この小説を読みながら、胃腸がきりきりと痛み、何度も吐きそうになった、いや本当に。

 この世のすべてのインチキに対する怒りを、僕はできるかぎり、外に表出しないように我慢してきた。だからなのかは分からないが、僕が患う病気のほとんどは、アレルギー、つまり免疫が過剰に反応し、己の身体を攻撃するものだ。口を噤んだら、それに身体が反応した、そんな感じだ。僕は、高校三年生のとき、難病と言われる潰瘍性大腸炎(アレルギー性の病気)を患い入院した。そしてそのとき、僕はこの性格を治さなければならない、僕は僕を変えなければならない、そう思った。

 それから六年経った。親元を離れ、一人暮らしをはじめた。自分を変えるチャンスだったはずだ。だが、結局のところ、僕は何一つ変わっていないのではないだろうか。むしろ、本を読むようになり、自己を映す鏡をたくさん持つようになった結果、ますます自己という檻に雁字搦めになったのではないだろうか。そんな気がしてならない。僕は実家に帰り、元気のない僕に失望した親の顔と対面するたび、未だに落下の一途をたどっていることを確認する。

 世界のすべてはインチキだと思うことと、世界のすべてがインチキであることは別のことだ、だから、あらゆることに腹を立てないよう自己を改造すればそれで解決じゃないか。そう読者は思うのではないだろうか。なぜなら、僕もそう思うから。でも、六年間僕はそれに失敗し続けたのだ。

ライ麦畑でつかまえて」には、僕が求めているような「答え」は書かれていない、ただ問いが提示してあるだけだ。というより、小説に自身の解決策など書かれているはずがないし、また書かれるべきでもない。それは、僕が考えるべきことだし、僕が僕の人生の中で見出すべきことなんだと思う。攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX は 「ライ麦畑でつかまえて」で提示された問いに対する製作者の思考、本当によくできた思考だ。僕は「ライ麦畑でつかまえて」をどう読みうるだろうか。