Yamakatsu's diary

男は黙ってカント

滅亡について

AKIRA新世紀エヴァンゲリオンマクロスフロンティア、NARUTO・・・。これらアニメの共通点はなんだろうか。それは、滅亡、あるいは他者が存在しない世界がある種「理想」として描き出されている点だ。(物語の最後には主人公が勝利し、滅亡は阻止されるのがほとんどであるが。) このことは、私たちは暗々裡にそれを欲望していることを端的に現しているだろう。

私は東北地方太平洋沖地震が話題にのぼるたび、われわれ日本人は、本当は三・一一的何かを欲望していたのではないか、と考えてしまう。東北へ救援に向かった多くの人々は、善意から向かったであろう。しかし、彼等の心の内奥で実は、破滅的な状態となった東北を見たい、という欲望が駆動していたのではないか、と。私は二年前ボランティアとして東北に行こうか、考えたが、そういった欲望が実際に働いていたか別にして、働いているのではないか、という疑いを持ち、取りあえず行くことを辞めた。

おそらく、こんなことを書くと、被災した人、救援活動に励んだ人から批難を浴びるであろう。それでもこんなことを書くのは、ヒューマニズムの観点から滅亡を擁護することはできないからだ。

どれだけ我々が否定しようが、我々は滅亡、あるいは日常性が崩壊することを暗々裡に欲望している。そして、我々がそれを欲望するのはチープな表現を用いるのであれば、心が荒廃しているからだ。真の意味で、滅亡を遠ざけるには、荒廃した心を耕す必要がある。そしてそれができるのは、文化(culture)であり、芸術だろう、と私は信じる。