Yamakatsu's diary

男は黙ってカント

「気持ち悪さ」と「納得」

この社会で認められる、あるいは生きていくためにすべきこと、する必要があることはそんなに多くない。例えば、就活、たとえば、結婚、たとえば、google を使いこなすことなどなど。

そういったすべきことの中にも、感覚的に、あるいは生理的に、「気持ち悪い」ものがある。例えば、就活。大学三回生になったら揃って髪の毛を黒に染め、葬儀服のようなリクルートスーツを着て、あたかも自分が有用な人物であるかのようにアピールする。茶番。どうしてそんなことに真剣になれるのか、分からない。いや本当に。徹頭徹尾、気持ち悪い。

LINEだって、Facebookだって、twitterだってなんだってそうだ。使いたいから使ってるのではなく、みんなが使っており、それを使っていないと、関係性を維持できないから使っている。ふとしたとき、使っているのではなく使わされているという思いに囚われる。気持ち悪い。

 みなが足並みをそろえて「よーい、どん!」でスタート。誰が一番最初に走り抜けることができるか。誰を蹴落とすことができるか。いかに合理的に歩を進めるか。もしそのレースから降りれば、良くて変人扱い、悪くて落ちこぼれ。人生を道と表現するのはわかるが、レースと表現することには気持ち悪さしか感じない。いや、本当に。

現代の日本においては、レースから降りても生きていくことだけならそんなに難しくないだろう。それなりに孤独に対する耐性もある。だから、自分が感じる気持ち悪さに正直でありたいし、あるべきなんだと思う。こんなことを書くと、「いつまでも子どもだな、早く大人になれよ」と思われそうだし、事実周囲の人間から思われそうだが、そんなことは気にしない。

ではどうするか。自分がすべきこと、したいことに向かって、走る=努力すること。それに尽きるだろう。私は走ること=努力することが好きだし、努力せず不満だけ漏らす人間が嫌いだ。走っていさえすれば、そしてそれが結果として誰かのためになっていたとすれば、「納得」のいく人生になるだろう。

愚直に勉強する。